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第八十三話 遠くなる音

Author: 白蛇
last update publish date: 2026-10-14 17:02:42

 遠くで聞き慣れた音が鳴っている。

 けれど、まだ心地良い微睡みを手放したくなかった。

 身体を捻ひねってみる。

 それでも音は鳴り止まない。

 しばらくして、同じメロディーが繰り返されていることに気付いた。

――目覚まし……?

 そこでようやく、凜りんは薄く目を開けた。

 見慣れた天井。

 スマートフォンに手を伸ばすと、四度目のスヌーズが起動しているところだった。

 凜は慌てて、隣に寝ているはずの理玖へ手を伸ばす。

 その手が空を切った。

――もう出勤してしまったんやろうか。

 ベッドから立ち上がった瞬間、身体がぐらりと傾いた。

「……あれ?」

 慌ててベッドの縁に手をつく。

 一瞬、床まで傾いたように見えた。

 けれど、次の瞬間には元に戻っていた。

 額に手を当ててみても熱はない。

――寝すぎたんかな。
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     遠くで聞き慣れた音が鳴っている。 けれど、まだ心地良い微睡みを手放したくなかった。 身体を捻ってみる。 それでも音は鳴り止まない。 しばらくして、同じメロディーが繰り返されていることに気付いた。――目覚まし……? そこでようやく、凜は薄く目を開けた。 見慣れた天井。 スマートフォンに手を伸ばすと、四度目のスヌーズが起動しているところだった。 凜は慌てて、隣に寝ているはずの理玖へ手を伸ばす。 その手が空を切った。――もう出勤してしまったんやろうか。 ベッドから立ち上がった瞬間、身体がぐらりと傾いた。「……あれ?」 慌ててベッドの縁に手をつく。 一瞬、床まで傾いたように見えた。 けれど、次の瞬間には元に戻っていた。 額に手を当ててみても熱はない。――寝すぎたんかな。 顔を洗うと、視界が鮮明さを取り戻した。 リビングの方から、いい匂いが漂ってくる。 キッチンを覗くと、理玖がそこにいた。「よく寝てたな」「あ、おはよう。いたなら起こしてくれれば良かったのに……」「疲れてるんだと思って」 凜は笑顔を貼り付けた。「疲れてないよ」「そうか。もうすぐご飯できるから、座っててくれ」「ありがとう」 ソファに座って窓の外をぼんやりと眺める。 雲一つない青空。 きっと風が気持ちいい。 唐突にローテーブルに食器が置かれた。 凜の肩がぴくりと跳ねる。「ご飯、このぐらいで良かったか?」「うん、ありがとう」「……今日、天気いいな」 理玖も窓の外に視線を向けた。「そうだね」「いただきます」 揃って手を合わせる。「凜、昨夜は話聞かなくて

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    「ねえ、理玖」 凜は毛布を引き上げながら声をかけた。 すぐそこに理玖がいるのに、寝室はいつもより寒く感じた。「どうした?」「あの人は、何が目的なんやろ」「あの人って、SNSで投稿してる奴か?」「うん」 理玖は少し考えてから答えた。「分からん。面白半分かもしれないし、俺かお前に何か恨みがあるのかもしれない」「昼に、もしかしたら大雅かもしれへんって言ったけど」「……そうだな」「けど、もし大雅じゃなかったとしても……大雅のことまで知られたら、理玖にも迷惑かかるよね」 数秒、沈黙が漂った。「ないとは、言い切れない」「そう、だよね」 否定してほしかったわけではない。 それでも、胸の奥が少し重くなる。「凜。明日、バイトは?」「あるよ」「休めないか?」「え?」 凜は理玖の方へ顔を向けた。「まだ身元が割れたわけじゃない。でも、あんな投稿が出てる以上、一人で出歩かない方がいい」「でも……仕事まで休む必要ないやろ?」「何かあってからじゃ遅い。いつ、どんな情報が出るかも分からない」「せやけど、いつまで休めばええの?」 理玖が口を閉ざした。「なあ、どうしても働きたいのか?」「え?」「金なら俺が稼いでくる。別に専業主婦になったって、何も困らないだろう」「そんなん……」 あいつらと一緒だ。 一瞬、義母の麗華と大雅の顔が頭を過った。 家の財産を食い潰した挙句、自分が父の治療のために働いて稼いだお金まで寄越せと言ってきた。 あいつらみたいになんて、なりたくない。「うちは、いやや。お父さんの治療費も出してもらってるのに……」 理玖がゆっくりと息を吐き出す

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     理玖から返信が来たのは、日が傾き始めた頃だった。 スマートフォンの通知音に、縋り付くようにして画面を開く。『遅くなってすまん。今こっちでも確認した』『投稿に付いてるコメントも見たが、特定に繋がるような情報は出てない』 理玖の言葉に、ほっと息を吐く。『でも、知ってるって』 すぐに返信が来た。『今のところ、本人から追加の情報を出してる様子もない。ただのはったりだろう』『けど、もしかしたら大雅かも』 既読は付いたが、なかなか返事は返ってこなかった。『ないとは言えない。だが、これだけじゃ発信者情報の開示請求は通らない』『じゃあ……』『アカウントはこっちでも監視しておくが、何か動きがないと特定のしようもない』「そう、なんや……」 数分が経って、理玖からもう一通メッセージが届いた。『できるだけ早く帰る』『無理しなくていい』と返そうとして、代わりに送ったのは『待ってる』の四文字だった。 冷蔵庫を開いて、食材の残りが少ないことに気付く。 このまま部屋にいても、さっきの投稿のことばかり考えてしまいそうだった。 凜は気分転換も兼ねて、スーパーへ向かうことにした。 何か手間のかかるものを。 メニューを考えながら精肉コーナーに差し掛かる。――せや、ハンバーグとか好きやったはず。 そう思い立ち、牛挽肉のパックを手に取った。 調味料と野菜も買い揃えて帰路に着く。 マンションに帰り、早速調理に取り掛かった。 玉ねぎを切り刻み、飴色に炒める。 牛挽肉を冷やしながら練り、粗熱を取った玉ねぎを混ぜ入れる。牛乳とパン粉、調味料を加えると、香辛料の香りがふわりと立ち上った。 出来上がったタネを冷蔵庫に仕舞う。 後は玖から連絡が来てから、形を整えて焼くだけだ。 二人分とは言え、思っていたよりも早く

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     定食屋のランチタイムが終わった後。 凜は着替えを終えて、何気なくニュースサイトを開いた。 IT関連タグを開くと、白川のシステム障害に関する記事がまだいくつも並んでいる。『白川ホールディングス、システムの安定稼働を確認』 トップに表示されている見出しを読んで、ほっと息を吐く。 記事の内容に目を通す。 朝、理玖から聞いた通り、白川のシステムはもう復旧しているようだった。 けれど、山下という名前はどこにもない。 ブラウザバックしようとして、関連記事のタイトルに目が留まる。『KWS、障害対応を巡る批判続く』『相次ぐ契約見直し 信頼回復には時間か』 理玖が『白川の件が落ち着いたからって、全部解決したわけじゃない』と言っていたことを思い出す。 記事を開こうとして、やめた。――うちが読んでも、何もできへんし。 スマートフォンを鞄にしまう。 その時、短い通知音が鳴った。『バイト終わったか? お疲れ。それと、やっぱり今日は遅くなる』 理玖からだった。 理玖の方が、ずっと疲れているはずなのに。 それでも『お疲れ』の三文字が嬉しくて、凜の口元は自然と緩んだ。『分かった。無理せんといてね』 最近、同じメッセージばかり送ってる気がする。 他に何か送ろうかと少し考えて、結局いつもの言葉を付け足した。『帰ってくるの、待ってる』 送信。 画面に並んだ文字を見返しながら、凜は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。「……さん」 更衣室の扉の向こうから声がした。 スマートフォンから顔を上げる。「白鳥さん。賄いの準備できてるよ」「あ、すぐ行きます」 凜は慌てて荷物を纏め、更衣室を出た。「白鳥さん、最近疲れてない?」 賄いを食べていると、さっきのスタッフが尋ねてきた。

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